“会議と移動は時間泥棒”
新聞にこんな見出しの記事が載っていました。記事を読むと、会社を世界的にも通用する企業にするため、社長が考えた結果が “長時間労働をやめよう” であり、時間を短縮できるところを探したら “会議と移動” だったということです。
この会社にとってはこれが効果を上げる方法だったんでしょう。今のところ、それが一番いい方法なんでしょうね。
新聞でこの見出し”会議と移動は時間泥棒”を見たとき、私の頭の中に浮かんだのはあるお話でした。それは、ミヒャエル・エンデという人の書いた “モモ”というお話。
主人公の女の子、”モモ”がある町にやってきて、住人たちと友人になり、はじめは仲良く暮らしています。ところがある日、”時間どろぼう”である”灰色の男たち”がやってきて、住人たちの時間をうばっていき、住人たちはどんどん『時間を節約しなければ!』『こんな無駄なことはしてはいけない!』と余裕がなくなっていきます。そして楽しかったモモとの時間もなくなっていき、町はうつろな目をしてせかせか動きまわる人ばかりになります。
そこでモモが仲間たちと立ち上がり、灰色の男たちと対決して住人たちの時間を取り戻す、というお話です。
この話の中に出てくる”時間どろぼう” は、住人たちにこうささやきます。「時間を節約して、貯蓄しなさい。倹約した時間は、倍になって戻ってくる。貯めた時間は、将来自由に使えますよ」
”時間どろぼう”はこうもささやきます。「あなたが浪費している時間を節約しましょう。そうすれば、節約した時間は倍になって戻ってくる。その時間を使って、あなたの生活を豊かにしましょう」
今まではその “浪費している時間” が心地よいものであり、その時間が住人たちに与えていた余裕がどんどんなくなります。おこりっぽくなり、思いやりがなくなります。なのに、あるはずの時間は、手元に残らないのです。”時間どろぼう”に時間を盗まれてしまったのです。
冷静に考えれば、時間は過ぎ去っていくばかりなのですから、手元には残らないですよね。もちろん、貯めていくなんてできない。
記事に載っている”会議と移動”が、”モモ”に出てくる”時間どろぼう”になるのかな、と私は思ったのです。
この記事の見出し”会議と移動は時間泥棒”を見て、会議と移動をやめれば働く時間は少なくなる!と思いこみ、「会議と移動をやめて時間を節約しよう!」と言う人も出てくるかもしれません。
でも、”会議”は、お互いの意見を面と向かって交換しあう場所でもあります。”移動”している間に、会社の中にいては見えないものを見ることができ、それが仕事に結びつくかもしれません。本当にこの二つは時間泥棒、時間の浪費なのでしょうか?
“浪費” と思われる時間に、大切なものが隠れているかもしれないのです。そして、節約した時間は戻ってこない。
果たして、誰が、何が、“時間泥棒” なのか。
そんなことを考えている時間も、もしかしたら時間の浪費なのでしょうか。
あなたは、どう思います?